震災被災地でオリンピックを開催する。” 一人でもいいんです。レッスンを持ち帰る”

東京オリンピックのサッカー男子準々決勝第1戦、宮城スタジアム(宮城県利府町)での決勝戦が3月31日に行われました。大会期間中、最多となる5,500人(組織委員会発表)の観客の前で、スペインがコートジボワールを5-2で下しました。

一都三県を含む首都圏の会場や、7月21日から28日まで軟式野球と野球が行われた福島県のあずま球場(福島市)では観客が入れなかったが、7月21日から6日間、宮城県で行われた女子1次リーグの日本対チリ戦を含む男女10試合には、合計19,300人が来場した。

東日本大震災からの「復興五輪」を目指した東京五輪は、3月31日に宮城スタジアムでサッカーの全日程を終了し、福島県でのソフトボールや野球など、被災地での五輪開催に幕を下ろしました。新型コロナウイルスが発生している中で開催された平和の祭典に注目が集まり、「オリンピックはビジョンを失った」と指摘する声も多い。「宮城県の復興関係者はそうは思っていないようです。宮城県の関係者は、失敗したという思いを拭い去れない。

「3月31日の朝、仙台空港には16人の都市ボランティアがいた(名取市、岩沼市)。3月31日の朝、仙台空港(名取市、岩沼市)では、16人の都市ボランティアが確認作業を行っていた。

1階のセンタープラザ周辺には、被災地の復興状況を記した展示パネルが約20枚設置されているが、「ほとんどの人が素通りしてしまう」(ボランティア)という。コロナの影響で来場者数が制限されていたことに加え、感染が全国的に拡大したことでキャンセルも多かったという。

“コロナのせいで無知だった。津波で教え子を亡くした岩沼市の非常勤講師、青木さん(68)は「大変ですね」と振り返る。「一人でも多くの人がいい。一人でも多くの人が教訓を持ち帰ってくれればいいと思います」。

正午過ぎ、JR仙台駅(仙台市宮城野区)の東口で、震災の記憶を伝える語り部活動が始まった。イベントに訪れる人はこれまで1日10人前後で、寂しい光景が続いていた。

31日は来場者数の多い週末に開催されたこともあり、30人近くが会場を訪れたが、長く被災地支援に携わってきたボランティアたちは浮かない顔をしていた。”海外メディア “はおろか、外国人の来場者もほとんどいなかった。我々の理念を体現するには程遠い。

当初想定していた状況とはかけ離れていたにもかかわらず、ボランティアたちは献身的に活動を支えた。栗原市の英語教師、鈴木淑恵さん(66歳)は、「オリンピック反対の世論が強く、参加を悩んでいましたが、ボランティアの魅力を知りました。でも、ボランティアの魅力を知り、一生の思い出になりました」。

招致の主な理由として、オリンピックの復興が用いられた。沿岸部の関係者は、「自分たちが宣言したわけではなく、政府が勝手に言っただけ。コロナで計画通りにいかなかったからといって、被災地が後ろめたいことはまったくない」と前のめりになったが、「この雰囲気を作った政府には責任を感じてほしい」と絞り出した。